「東京に住む必要はないよね」
で始まった移住
深山 雅庸 さん 公子 さん
2017年東京都より穂高に移住
現在のお仕事:キルト作家
【妻の一言がきっかけ】
一昨年(平成28年)の年末、大町の別荘に向かっていた車の中、完全リタイヤを考えようとしていた時のことでした。「東京に住む必要はないよね」と切り出したのは妻でした。唐突な提案でしたが、私はいいアイデアだと思い、すぐに賛成しました。
会社に行くときは社宅で我慢、その代わり夏は涼しく、冬はスキーが楽しめる大町の森の中の別荘地に家を建ててから、すでに25年あまりが経っていました。月に2回ほどは森の中での生活です。リタイヤ後は森の中で長期滞在したいと考えていましたが、15年ほど前に買った東京の家を手放すことは、まったく考えもしませんでした。
【家を探そう】
妻はキルト作家で、家じゅうミシンとキルト用の布であふれていました。理想はミシンとキルト用の布がすべて置ける広い工房。実は私もキルト作品を手掛けるようになっていました。
すぐに行動すれば楽しく過ごせる時間が長くなると思い、早速家探しを始めました。まずは妻が無理なく車の運転ができる平らで積雪が少ない場所、大町の市街地、安曇野市、そして北杜市を候補地としました。つづいて、広い部屋がありリノベーションできそうな家をネットで調べて、現地を見に行きます。不動産屋がお休みの間は、現地だけでも見てみました。
大町で見つけたログハウスには後ろ髪をひかれましたが、近くに新しい清掃工場が建築中で断念。穂高の山の上は大町の森と同じくらいの積雪と坂道。田んぼの中の広い一軒家は隣が墓地。
【インスペクションと耐震工事】
そんな中で見つけた家は、穂高の別荘地にありながら南側は田んぼで開放的。2階の和室と洋室を一つにすると、理想的な工房になりそうでした。ただ、吹き抜けのあるリビングは、耐震性に不安がありました。阪神淡路大震災と東日本大震災、2つの大地震を経験している我々にとって、耐震性は重要な条件だったのです。
妻の提案でホームインスペクション(住宅診断)をしてもらうと、建物そのものの大きな欠陥はないものの、大きな地震で倒壊する可能性があり、耐震補強工事が必要とのことでした。
平成29年の3月末にその物件を購入して、インスペクションをお願いした建築士さんに耐震補強工事を含めて、工房の工事の設計と監督を依頼しました。工事は建築士さんの知り合いの大工さんが行いました。私もキツツキの作った穴の修理や床下の断熱材の補てん等をして楽しませていただきました。
【移住後のこと】
工事が終わり安曇野に引越ししたのは、平成29年の11月中旬のことでした。ミシンやキルト用の布は工房に収まり、家の中は小さなギャラリーになりました。暖かい部屋でキルト作成も快適です。
池田町にある北アルプス展望美術館から企画展※の提案を受け、平成30年の4月初めから約2か月キルトを展示していただきました。
※ピクトリアルキルトの世界- 深山公子×深山雅庸 二人展 –
あづみのテレビや地元紙での紹介もあり、4,000名を超える方々に作品を見ていただき、多くの地元の人たちとお知り合いになることもできました。移住して7か月、見る人にさらに微笑んでいただける楽しい作品を作ろうと励む毎日です。